昭和43年9月23日 秋季霊祭
昭和43年9月23日秋季霊祭の御教話を頂きます。おかげ頂きましてありがとうございます。信心は親に孝行するも同じことであると教えられます。ですから、本当に孝行したい本当に親に喜んでもらいたい。神様に喜んでもらいたい。そういう願いを立てることが信心だと思うのです。皆さんどうでしょうか。そこに神様に喜んで頂きたい。喜んで頂ける様な信者氏子にお取り立て頂きたい。本当に親に喜んでもらいたい。本当に親に安心してもらいたい。それを信心によって親に喜んでもらいたい。親孝行がしたいと言うことになってくる。みなさん、それを切実に思うことがね、信心なんです。そこから、切実に思えば、思うほどいわゆる信心と言う姿になってくるのです。なるほど、信心になれよと言うのはまず、そこんところが根本です。おかげを頂きたいために一つ信心になろう。**ておかげを頂くとだから、信心にならないことになる。ですから、そこんところをね、みなさん間違いなく焦点をそこにおいての信心を頂きたい。ところがです。そういうふうに切実に思います。神様に喜んで頂ける氏子にお取り立て頂きたい。そこでまあ、どんどん御用が出来るようなおかげを頂きたい。そのためにどうぞ商売繁盛のおかげを頂かしてください。健康のおかげを頂かしてください。これほど私は一生懸命切実に神様に喜んで頂くようにね、もうそれこそ御大祭があっても誰彼といいません。私一人でおかげを頂きたい。おかげを私を頂かしてください。こんなに体が弱くて御用も出来ません。どうぞ、健康にならせてください。と願っておるにもかかわらず、神様はおかげをくださらない。そういうおかげはね。だから、本当の御おかげではないということ。神様がね、喜んでくださるおかげというのはね。御用とかそんなこっちゃあない。もちろん、それもありがたいけれどもね。それよりも何と言うてもいわゆる神様に喜んで頂く本当の真の氏子、真の信者にならしてください、ということなんです。そういう願いをかけさせて頂く。それが切実に思えば思うほど、神様は喜んでくださる。けれども、なかなか神様に喜んで頂ける自分でないことに気づかせてもらうて、相すまん、相すまんと言うことになるのですけれども、その願いが止むに止まれんものになってくる。それが信心なんです。どうでんこんでんおかげを頂きたい。頂いてこのおかげを頂いて、そしてその後に神様に喜んで頂こう。いや、神様に喜んで頂くこと、間違いであってはならない。まず、真の人になると言うこと。そこをね、切実に願わにゃあいけん。それが信心である。もう20年以上前の話、私が福岡におりましたころもうそれこそ断食から、断食といったような日をさせてもらっておる。私が月並祭のたんびに*目に帰って参りますと両親がもう痛く心配するのです。もうこの頃もうとにかくやせ細ってしまもうてから、弟が胸の病気で亡くなってしもうておるもんですから、もう胸の病気でなかかというわけなんです。いっぺん、お医者さんに診てもらわんでもいいか。とにかく、そりゃあやせ細ってしもうておる。やせほそると体がくの字になるです。あの自分の写真を見るとくの字になっておりますよ。だから、私考えたんです。本当に親に孝行したいばっかりに一生懸命になったんです。それでこういう状態では親に喜んでもらうことはでけん。そこでただ親に撫でたり、さすったりすることが親孝行ではない。これはまず、何というてもよい信心を頂かなければならん。本当の信心をしなければならん。信心によっておかげを頂いて親に安心してもらおうと言うのが始まり。そこで私がね、あまりにも両親が心配いたしますから、或るとき神様にお願いしたんです。こうして、御神意のままに御修業頂いておりますから、ごしたいがこんなにやせ細ってしまいました。ですから、どうぞ神様私を肥えさしてください。修業をどのような修業でもしますから。どうそ肥えさしてくださいと願いをしたんです。そしたら、神様がですね。神様は出来なさらんことは出来なさらん。それでも、どげなことでも神様は出来なさると言う。気なんですから、もう燃えているときですから。神様親が心配いたします。どうぞ。私を肥えさせてください。今度帰るまで必ず、肥えさしてください。それこそ切実に願いました。だから、神様がね。今度帰るときはね、「頭をつんで帰れ」と頂いた。それまでは私はこうやって七分三分に分けておった。なるほど神様でもね。無理な願いとよく言うが、無理な願いをしてやるはわかりますけれども、その無理な願いでも切実に親に喜んでもらいたい。安心してもらいたいという願いをです。神様がやはり聞き届けてくださってこちらが気がつかなかったけれども、頭をつんでそれ以来私は坊主です。次に太ってみえるんですよね。両親が今度少し肥えとるばいと言うて喜んでくださった。ほめることならね。なら、私が健康になると言うことがですね。両親の満足行くようなあり方にならしていくようにはいかん。また、神様がくださるわけにはいけん。そこで切実に願わなければ、ならないけれども、こえたようなに見えるようなおかげをくださる。信心ではそうです。私に経済なら経済の面でどんどん御用をさしてくださる。切実にそれを例えば、言うても思うてもです。それはやはり見当違い今肥えさしてくださいと言うのと同じことなんです。だから、そういうぶの願いはせずにね。もっと神様に喜んで頂く願いと言うのはどこにあるかということを私は何時も皆さんに話しておるわけなんです。最近菊栄会の方達が頂きました。御理解の中に生き神とは生き神と言うのは普通で言う生き神様と言うのではない生き神とはここに神が生まれると言うことであって心の中に喜びが生まれると言うことである。その時はすでに生き神だ。しかもみんなもその様なおかげが受けられるんだと教祖がおっしゃっておられる。だから、そういう生き神を目指しての私どもの信心だから、生き神とは人間形成、人間が本当の人間が出来てくる。人間***神様の御きかんに叶うような人間を作って行くためのビジョンでもあり、目標でもありますという御理解、私ども信心させて頂いておる。その願いと言うのは、生き神を目指しておるということになるんです。金光様の御信心は御用を頂きたい。御用をさせて頂くためではないのです。そこに生き神を目指して行くような信心におかげを頂かないはずがないのですから。そのおかげが体での御用にもなり、財での御用にもなり、社会に貢献することが出来る。先日の十三日会の時にも十三日会の方達に神様の願いに答える為にあの十三日会というのがある。せめて三十日の中一日だけぐらいは私どもが真実、神様の心に叶う。機惑にかなう信心がさせて頂きたい。今日一日だけはというそういういわば、頂きの集まりである。神様の願いに答えさせて頂く神様の願いに奉仕するグル-プだと頂きます。神様の願いに答えるグル-プなんです。それは十三日会だけであってはならない。お道の信奉者が全部がそうあらなければいけんのだ。いうなら、合楽の信奉者全部がそうあらねばいけんのだ。神様の喜んで頂く氏子になるために神様の願いが成就して行くために奉仕する私どもであると言うような願いである。私今控えに控えさせて頂いて、私永先生のお話を頂いておりました。そしたら、丁度御*えいの時にここに石庭が出来るということでここは結局私の朝の天地の*拝を致します場になった。続いてから、私の控えの横に手洗いのあるところにつながった。あそこにね、私はね、五重の塔をどうでもあそこにすえたいとこういう。総代さん方にお願いした。あそこにはね、私がそう言い寄ったから、先生私はおかげを頂きますと言うて一万五千*お供えなさった方があった。ですから、五重の塔と言うことには大変意味が深い御理解を頂いたんですね。いうなら、信心のすべてがあの五重の塔になると言われるぐらいですから。ですから、後からお願いさせて頂いたらね。私がね、床の間で御祈念をしておる。私もまあ、いうなら、霊的な信心の根ざしになる場である。そういう風に感じた。だから、私は委長にも五重の塔がほしい。***
ある時、私が福岡に参りましたら、丁度甘木の二日市の間に石屋さんがあってそこに非常に格好いい五重の塔が見つかった。そこで4~5人の方があそこに降りて値段を聞いた所が2万円あまりだった。私が頂いたのが一万五千*だった。だから、一万五千*にまけておきなさい。一万五千*に負けそうで負けられない。また、この次に寄ろうと言うてですね。帰りました。おそらくあれは負けるだろうと私は思いよったんです。ところがその次に参りましたらね、風にですね。表においてあった五重の塔が倒れて上の一番大事なところが割れちゃったんです。それから、みんなが私があんまり執念をかけたから、あげんことになったと言う訳なんですけれども、確かにそうかもしれません。先生おそろしいことですね。かけてはならないことに執念をかけるとそれが倒れてしまう。そこで私も考えざるを得なかった。これは五重の塔、五重の塔とこれはあんまり言うちゃあいかんばいと私は思うた。それから、言わん様になった。そしたら、それに変わるようにです。それに変わったもののようにあの現在の手洗い鉢のお供えが来ました。正木さんが北野で仕事をしましたときに橋がね。きんたい風の橋になったから、それを両方の****持って帰った。あれをあそこにすえましょう。それから、先生ちょっと見に来てくださいと言うから、見に言ったです。ところが形は私は別状なかったんですけれども、それに書いてある文字が素晴らしかったんです。西の宮橋と書いてある。これは絶対正木さんここに控えにゃあいかんばい。西の宮橋、そこであの手洗いが出来ました。先日福岡から当時井上といっておりました。今森というとる。今日お母さんも参って来ておりますがね。その娘さんが大阪の方に*づいております。先日手紙にね、こういうてよこしました。これは名実ともに日本一の教会がありますね。大阪に中でも日本一を自他共に許しておるという教会が泉尾教会です。3億6千万*かかって御造営が出来た。私たちは足下にも及ばぬ。教会、もちろん何十年も計画を立てての教会、そこにあんたんところに一番近い所におかげを頂けと。ところがそこから、娘さんが住んでいるところが一番近いわけです、泉尾教会が。泉尾教会にお参りさせて頂いてから、もう合楽が日本一ござると*目が金光さまとしたら、あまりにも立派な教会であり、立派な先生であるのに、もうそれこそ驚いたり、喜んだり、おかげであちらでの信心の稽古が出来ております。先日も帰って来た。帰ってからの又こちらに帰ったことの感動感激をです。綴って来ておる手紙の中にです。親先生、東の泉尾、西の合楽と言うような手紙が来た。どうでも泉尾の親先生と合楽の親先生とが手をとられる日を祈っておりますと書いてある。ここも教団からあんまり大事にされない教会なんですね。非常に変わった行き方なんです。まあ、そういう意味合で、こういちだと思うんですけれども、東の西のというあまりにもこちらが貧弱ですけれども、しかし願いはそこなんだ。それは私の願いではない。神様の願いがそこなんだ。やはり西の宮なんだ。東の泉尾に西の合楽とたとえば、言われる程にたくさんな人が助かる、助かる場が出来る。それが私のたとえば、願いであり、念願であるとするならば、そういう念願こそ神様が喜んでくださる。出来はしない。現在出来はしない。けれども願いをそこにおいてあるということ願いをそこにおいてあると言うことが神様が喜んでくださることなんです。だから、そのための修業ならば、いとわなせん。そのために信心を例えば、信心をせずしてそうありたい。親孝行がしたい。親孝行がしたいばっかり切に思う立って、そのための修業はいとわないと言う信心が出来て初めて私は神様が喜んで出来なくても喜んで頂くおかげが頂けると私は思うのです。今日の御霊様のお祭りでも皆さんが思いを込めて真心込めて御霊様のたとえば、お好きであった甘辛をここへ持ち集められて、そして家族をあげて祈っておられる方がありますが今日は先祖のお喜びを頂ける日としておかげを頂かしてもらう。今度の御霊様のお祭りの一つの焦点と言うものは今までに皆さんの*家族の方達が先祖に対して真心を込めるというお祭りから、まあいうなら、一歩前進と言う感じです。それは私がここの手続きであるところの三井教会の初代の荒巻いう次郎先生、その親である石橋松次郎先生その親である吉木栄三郎先生(福岡の)その又師匠であるところの桂大先生の御信心をここにお越し頂いたものですから。これはもう何時ものことですけれども、私どもの者、私ぐらいなものでも助かると言うこととは思えない。自分でそれは知っている。ですから、先代の御神徳におすがりしてから、ここで助かっておるのです。けれども、ですから、御霊様の例えば、秋の御大祭なのだから、ですから、そういう4柱の先生方へ喜んで頂けるそのお祭りを奉仕させて頂こう。そしてその先生方のお徳にここの有像の御霊様方達が全部初代の先生方の御信心のお徳に釣りよってここに参集されてこられる様なお祭りであっておかげを頂こう。これが今度のお祭りの焦点である。ところが私驚きましたというのはね。あまりにも***それは自分もより分かっておるんですけれども今まではね。とにかく、それはね、いろいろなきのうですね。夕べお祭りの前の晩は一晩中御霊に座らせて頂いて今日お祭り頂く御霊様達のいうなら、整理とでも申しましょうか。分からせ言うて聞かせる。いわゆる皆さんに御理解を申しますようにいちいち御理解を言うて聞かせなければ、わからん人達がある。それが非常に骨がおれた。もうがっくりするほどそれほどもういっぺんおりて言ってから、お夜食をせんならん程腹が減るです。ところがですね。昨日はそうではなかった。もう実に楽であった。一時間半しかかからなかった。時間がそれがどういう事かと言うとですね。結局私の信心ではなくて、やはり桂先生、安武先生、石橋先生、荒巻せんせいあたりの信心のお徳によって御霊様達がつりのうて来てくださったと言うことでございます。どうしてこれが気がつかなかったろうかと自分でも思うた。そしてなら、御霊様の喜びがどこにあるかと言うとやっぱり合楽の教会に感謝の意を捧げられます。夕べ丁度長女がお茶を致しましておりました。12時頃までお勤めをしておられねばなりませんから、一つお茶を頂かしてくれといってお茶を頂いた。丁度田ぬし丸の共励会から皆んなが帰って参りましたから、まあ松栄会の方達が4人いましたでしょうか。部屋に入ってから、手前ができる人は手前をするお茶を頂く人はお茶を頂いてそして堪能させて頂いた。そして皆が帰らして頂いて休んだ後にです。私は茂男さんに今日はね、あなたはここに残ってから、お茶を一つたてなさいおうすをそして初代の三橋先生の御霊様*****
だから、茂男さんもはあおかげ頂きました。そして精神を込めてのお茶でした。**久富さん一人がそれこそ心静かにお茶をたてられる。そして、お供えをされる。そして帰って来てそれこそ感激いっぱいで「先生おかげを頂きました。三橋先生がね。これから、うやまいの姿を現わしてもうそれこそにこにこと笑われた。おかげを頂いて良かったねと言うようにです。皆さんの真心いっぱいのね。私は一人一人の事、申し上げたいけれども、できませんから、まあ今日御霊様の代表にそういういわば、感動が御霊様の伝わって行くのだ。ですから、本当にあだやおろそかに出来ないのがお祭り、その御霊様のお祭りです。出来ませんけれども、やむにやまれん思いで本当に霊様に喜んで頂くお祭りにならねばならぬ。神様に喜んで頂ける。信心にならなければ、ならぬという思いをです。皆さんがもっともっと考えなければ、いけない信心して私は思う。本当に神様に喜んで頂ける氏子にお取り立て頂きたいという願いが切実に募ってきてしかもその募ってきたものが修業に現れる御用に現れる。信心生活に現れて行くと言うことが信心だと私は思います。それに何ぞや病気をただ治してもらえるばっかりにただ、金銭のお繰り合わせ頂くためにだけじゃあいかん。それは病気を治してもらうこともよい。金銭のお繰り合わせを願うがいいような難儀なこともあるから、痛いかゆいを願うがいいけれども、その痛いかゆいこと金銭のこと、健康のことを通して神様に喜んで頂く信心が一歩でも近づかせて頂くと言う事がなかったら、それも切実に願うがいい。金が足らなかったら、金のお繰り合わせを願うがいいけれども、ただお繰り合わせをじだんだふんでお繰り合わせ頂いてありがとうございますだけではいけん。難儀を感ずるなら、感ずる程にです。それを修業とさせて頂いておかげを頂く。それによって一歩でも和賀心が神に向こうて行く信心。彼岸の御中目ですね。今日は昔から暑さ寒さも彼岸までと申しますね。たとえば、今日の皆さんのお祭りがです。それが境に今まで難儀と感じておった。今までこのおかげを頂きたい、頂きたいばっかりの一念であったけれども、その願いがです。そういう難儀がです。ちょっと思いが変えられた。私どもは生き神をいわば、根差してあり、目標がね、そこなんです。ですから、そのことを通して神様このことが苦しゅうございますけれども、この事によって生き神への修業が出来ます。この事によって真の信心が少しずつでも分からして頂けますと言うことになったら、それこそ私はその心がです。境になり、暑さ寒さも今まで寒うて思うておったのがです。心の中に楽を感じさせてもらえるそういう意味でですね。いわゆる彼岸のかなた神様の願いがそこへ私どもの心が向いた時にもう私は救われておる。もう君は救われたのだ、と言うことが言えるのです。そこに暑さ寒さの彼岸までの今日の御霊様のお祭りを境にお互いの信心が一段と高度の所に焦点がおかれて信心の稽古がいよいよ出来る。最近ちょっとしたまあ運動じゃあないけれども、3~4日前に頂いた御理解の中にお道の信心をさせて頂くものはね。朝寝をしてはならない。、と御理解を頂いた。これはお道の御用をしておる先生方にはね。神様の守りをしておるものは朝寝をしてはならんぞという。お教えがある。これは金光様の先生だけではない。信奉者全部がそれだ。金光様の信奉者全部が朝起きなんだ。朝寝はしないのだ。親父が朝参りしておるのに家内がまだ寝ておってはでけん。さあ、大事な朝参りさせて頂いたら、あとの者も起きいでてそれぞれの御用に私はあたらしてもらうと言うような一つの運動がですね。あの御理解の境にね、あっちこっち、そういう働きがあっておることをですね。ありがたいなあと思うております。皆さん、そういう一つの運動に参加せにゃあいけません。もう金光様の信心しておるものは朝寝をしてはならん。神様がそうおっしゃるから、もう朝寝はせん。金光様の信心させて頂くものは。そういう勢いと信心修業精神をもって十月十六日に奉仕されます。ここの開教記念祭、春の教祖大祭に合わせてその記念祭が行なわれる。いろいろと先生方初めその準備におおわらわでございます。皆さん、たとえば、その御用に立ち入れなくてでも、例えば、朝早起きの修業ぐらいさせて頂いて、思い出させて頂いて早起きがなるほど昔から、よく言われておる様に三文の得だというものを身につけてお道の信奉者らしい信奉者にお取り立て頂きたい。そういう信者にお取り立てくださいという、そういう願いが神様が喜んでくださる願いであり、それに精進して行くと言うことがいよいよ神様が喜んでくださる事であるということをしらなければなりません。どうぞ。